第21代M-1グランプリの王者に輝き、お笑い界の新星となった「たくろう」。
爆笑をさらう一方で、日本中の視聴者の目が釘付けになったのが、ボケ担当・赤木裕(あかぎ ゆう)さんの「独特すぎる挙動」です。
「あの自信なさげな動きは計算なの?」 「一体どんな人生を送ったら、あんなキャラになるの?」
テレビ画面越しに漂ってくる「放っておけない危うさ」に、思わず彼のルーツを知りたくなった方も多いはず。
これまで3年間、数多のエンタメニュースや芸人のブレイクの法則を分析してきた筆者も、彼の圧倒的な「違和感」に魅了された一人です。
そこで、赤木さんの生い立ちを徹底調査したところ、今の芸風に繋がる驚きの過去が見えてきました。
キーワードは、高校時代の「野球部マネージャーへの転向」。
かつて白球を追った少年が、なぜ漫才界の頂点に立つことになったのか。赤木さんの知られざる生い立ちから、相方・きむらバンドさんとの運命の出会いまで、その逆転の軌跡を詳しく解説します。
この記事を読み終える頃には、赤木さんのあの動きが、さらに愛おしく感じられるはずです。
たくろう・赤木裕のプロフィール
本格的な生い立ちを紐解く前に、まずは赤木さんの基本情報をチェックしておきましょう。

| 氏名 | 赤木 裕(あかぎ ゆう) |
| 担当 | ボケ |
| 生年月日 | 1991年10月24日 |
| 出身地 | 滋賀県 |
| 身長/体重 | 174cm / 55kg |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 | 滋賀県立石山高等学校 卒業 |
| 趣味 | 釣り、野球、読書 |
| 特技 | 空手(糸東流)、野球(マネージャー) |
| 出身校 | 大阪NSC 37期生 |
たくろう赤木の生い立ち①|滋賀で過ごしたスポーツ万能な幼少期

現在でこそ「挙動不審」という唯一無二の芸風で知られる赤木さんですが、その生い立ちを遡ってみると、意外にも「スポーツ漬け」の活発な少年時代が見えてきます。
空手と野球に明け暮れた大津時代
赤木さんは滋賀県大津市の出身。
小学生の頃から空手と野球を同時に習い、放課後は泥だらけになって白球を追う、ごく普通のスポーツ少年でした。
あの細身で少し猫背気味な今の姿からは想像もつきませんが、実は空手で培った体幹と、野球で鍛えた瞬発力を持ち合わせていたのです。
中学校でも迷わず野球部に入部。当時は「笑い」よりも「レギュラーを勝ち取ること」に必死な、情熱あふれる日々を過ごしていました。
性格の転機?小学校での「転校」エピソード
しかし、幼少期の赤木さんの人生には、現在の「空気を読みすぎる性格」を形作ったと思われる出来事がありました。
それは、小学生時代の「野洲市から大津市への転校」です。
環境がガラリと変わる中、新しい友人関係の中に溶け込むための苦労。
転校生として、周囲の顔色を伺いながら自分の居場所を探す……。
そんな経験が、彼の中に「繊細な感受性」を植え付けたのかもしれません。
同じ中学校の卒業生には俳優の林遣都さんなど華やかな顔ぶれが並びますが、その陰で赤木さんは、スポーツに打ち込みながらも「自分をどう見せるか」という葛藤を、子供ながらに抱えていたのではないでしょうか。
たくろう赤木の生い立ち②|人生を変えた「野球部マネージャー」への転向
赤木さんの生い立ちを語る上で、避けて通れないのが滋賀県立石山高校での野球部時代です。
この3年間が、現在の「芸人たくろう・赤木」の魂を作ったと言っても過言ではありません。
3年生の夏、突然の「引退勧告」
高校でも熱心に練習に打ち込んでいた赤木さん。しかし、運命の歯車が大きく動いたのは3年生の夏を目前にした時期でした。
監督から告げられた言葉は、選手としてのベンチ入りではなく、「マネージャーへの転向」という残酷な打筆でした。
「お前は、マネージャーをやれ」
実質的な選手生命の終わりを意味するこの宣告に、どれほどのショックを受けたかは想像に難くありません。
しかし、赤木さんはこの現実を受け入れ、チームを支える裏方として、選手以上にグラウンドを走り回る日々を選びました。
「気を遣い、顔色を伺う」日々の始まり
マネージャーとしての仕事は、多岐にわたります。
練習の準備、スコア付け、そして何より「選手たちが最高のパフォーマンスを出せるように気を配ること」。
- 周囲の状況を常に観察する
- 一歩引いて、自分の出方を考える
- 失敗を恐れ、常に「すみません」という気持ちで奔走する
この時期に染み付いた「極度の謙虚さ」や「周囲の顔色を伺いながら一生懸命に動く姿勢」こそが、現在の赤木さんの芸風である、あの挙動不審で目が離せないキャラクターの原点なのです。
挫折が「唯一無二の武器」に変わるまで
当時の赤木さんは、まさかこの「裏方としての苦労」が、将来M-1の舞台で爆笑をさらう武器になるとは夢にも思っていなかったでしょう。
しかし、この生い立ちの中にあった「選手になれなかった男」の葛藤と、それでも必死に役割を全うしようとした泥臭さ。
それが、今の赤木さんが放つ、誰にも真似できない「応援したくなる不安定さ」を生み出しているのです。
たくろう赤木の生い立ち③|相方・きむらバンドとの出会い

高校時代の野球部マネージャーとしての経験を経て、赤木さんは「裏方」ではなく、自らが表現者となるべくお笑いの道、大阪NSC(吉本興業の養成所)へと進みます。
しかし、その独特すぎるキャラクターゆえに、最初はなかなか理解されない日々が続きました。そんな赤木さんの生い立ちにおいて、最大の幸運とも言える出来事が、相方・きむらバンドさんとの出会いでした。
「変なやつがいる」先輩が見抜いた才能
きむらバンドさんは、赤木さんよりも1年先輩のNSC36期生。
元々ベーシストとして活動し、大学では落語研究会を復活させるほどのバイタリティを持っていたきむらさんは、赤木さんの「自信がなさげで、でも目が離せない」という危うい魅力を一目で見抜きました。
「こいつの変な動きは、絶対におもろい武器になる」
そう直感したきむらさんが、当時まだ「挙動不審な新人」だった赤木さんに声をかけたことで、2016年にコンビ「たくろう」が誕生したのです。
赤木の「カオス」を救った、きむらの「安定感」
野球部マネージャー時代、周囲を気にして縮こまっていた赤木さんの性格は、お笑いの舞台でも最初は「事故」のように見えてしまうことがありました。
しかし、ここにきむらバンドさんの「絶対的な安定感」が加わります。
- 落語で培った「喋りの技術」
- バンドで鍛えた「ツッコミのリズム」
きむらさんがどっしりと構え、赤木さんの予測不能な言動を「技術」で笑いに変えていく。
この瞬間に、赤木さんのコンプレックスだったはずの生い立ち(気を遣いすぎる性格)は、日本中で彼にしかできない「最強のボケ」へと昇華されたのです。
二人で歩んだ「覚醒」への道
コンビ結成後、関西の賞レースで早くから注目された二人ですが、赤木さんは常に「自分のキャラはこのままでいいのか」と自問自答を続けていました。
そんな赤木さんを、きむらさんは「お前はそのままでいい、俺が全部拾うから」と支え続けました。
この信頼関係こそが、赤木さんを「ただの挙動不審」から「M-1を制するボケ」へと成長させた、最も重要なエピソードと言えるでしょう。
生い立ちの集大成|2025年M-1グランプリでの覚醒

2025年12月21日。漫才師にとっての聖地、M-1グランプリの決勝ステージ。
そこに立っていたのは、かつて高校のグラウンドで「マウンドに立てない自分」を受け入れた、あの日の少年・赤木裕さんでした。
「自信のなさ」を「最強の笑い」に変えた4分間
決勝の舞台で披露されたネタは、赤木さんの予測不能な動きと、それを見事に制御するきむらさんのツッコミが完璧に噛み合った、まさに生い立ちの集大成ともいえるステージでした。
極限の緊張状態が生んだ赤木さんの「震えるような挙動」は、もはや事故ではなく、計算し尽くされたかのような芸術的なボケへと昇華。審査員や観客は、彼の「一生懸命すぎる姿」に爆笑し、同時に心を奪われました。
裏方だった少年の「逆転劇」
高校時代、自分の夢を諦めて裏方(マネージャー)に回った赤木さん。
その経験があったからこそ、彼は「主役の座を奪いに行く」のではなく、「周囲を気遣い、懸命に役割を全うしようとする」という、誰にも真似できない独特のオーラを纏うことができました。
「あの時マネージャーをやっていたから、今の自分がある」
優勝が決まった瞬間、赤木さんの脳裏には、かつてベンチで見守った野球部の光景が浮かんでいたのかもしれません。
マウンドに立つことは叶わなかったけれど、彼はそれ以上に熱い、漫才界のセンターマイクという最高のステージで頂点に立ったのです。
2025年、たくろう赤木が証明したもの
赤木さんの優勝は、単なるお笑いコンテストの勝利以上の意味を持っています。
それは、「コンプレックスや挫折も、磨き方次第で世界一の武器になる」という証明です。
野球部時代の挫折、NSCでの苦悩、そしてコンビ結成から今日までの日々。すべての点が線で繋がった瞬間が、あの2025年の冬でした。
まとめ
2025年M-1王者「たくろう」赤木さんの生い立ちを紐解いてきましたが、いかがでしたでしょうか。
一見すると、危うくて自信なさげな唯一無二のキャラクター。しかしその根底には、高校野球部での「マネージャー転向」という大きな挫折と、そこから這い上がってきた泥臭いストーリーがありました。
今回の内容をまとめると、以下の通りです。
- 幼少期: 滋賀県で空手と野球に打ち込む、意外にも活発なスポーツ少年だった。
- 転機: 高校3年生で選手を断念し、マネージャーへ。周囲の顔色を伺い、支える日々が今の「気を遣いすぎる芸風」のルーツになった。
- 相棒: 自分の欠点を「才能」として認めてくれた、きむらバンドさんとの運命的な出会い。
- 栄光: 2025年、かつて裏方に回った少年が、漫才界の頂点という最高の「マウンド」で輝いた。
「自分なんて……」と自信を持てずにいる人にとって、赤木さんの逆転劇は大きな勇気を与えてくれるはずです。
自分のコンプレックスすらも、磨き方と出会い次第で、日本一の武器に変えられる。赤木さんは、そのことを漫才を通して証明してくれました。
2026年、王者としてテレビ界を席巻するであろう「たくろう」。赤木さんのあの挙動不審な動きの裏側にある、熱い「生い立ち」を知った私たちは、これまで以上に彼らから目が離せなくなりそうですね!



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